暮らすがえジャーナル
萌さんは10月から新しく平安伸銅の仲間に加わってくれた方。広島県在住で普段は遠隔で働いています。
幼い頃からインテリアが身近だったらしく、1人暮らしのときにはしょっちゅう模様替えをしていたとか。
そんな萌さんは30歳で現在の病気を発症し、身体を思うように動かせなくなったそうです。
突然の変化が起きたとき、暮らしは、心はどう変わっていくのだろう。
萌さんの実体験をお聞きしながら、「私らしい暮らし」を探っていきました。
暮らすがえグループ 小泉 萌
子どもの頃から衣食住への関心が高く、大学では生活科学を専攻。企業で営業や企画業務に従事していたが、病気で外出困難に。外出困難者の「働く」をテーマに東京の企業で人材事業やサービス開発に従事しつつ、多様な働き方を実践している平安伸銅工業に出会い、2025年10月よりジョイン。車椅子生活になり日常のほとんどを自宅で過ごすようになって、住空間の大切さをさらに感じている。
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いろんなものが共存するからこそ居心地が良い
――萌さんはインテリアコーディネーター、福祉住環境コーディネーターと資格を持たれていますよね。暮らしへの関心は昔から高かったんでしょうか?
萌
空間は幼い頃から好きでした。 たぶん、父の影響が一番大きいです。父はオフィスデザインの会社に勤めていた関係で、空間にはかなりこだわっていましたね。リフォーム後には1週間毎日ソファ探しの旅に出てたくらいなので、やっぱり家具が好きなんだと思います。
私にとって幼い頃からインテリアや空間は身近で、「空間を考える」ことは生活の一部でしたね。
――ではご自身の暮らす部屋もこだわりを持って作られていたんですか?
萌
そうですね、特に学生時代は部屋づくりにこだわっていて、限られた予算内で好きな空間を作っていました。100均で突っ張り棒を買って、好きなものを吊るしたり、ホームセンターでラグを買ってきて敷き詰めたり、「お金をかけずに、どれだけ自分の空間を楽しめるか」をずっと考えてましたね。
――素敵ですね!空間をつくるときのこだわりは?
萌
特に空間の中で特に大事にしているのが色使い。殺風景よりも鮮やかな方が好きです。実は大学時代の卒論も、居住環境がテーマだったんです。フランスの子ども部屋の本を読んだときに、「なんて鮮やかなんだろう」って衝撃を受けて。育つ環境によって感性が違うのは当たり前だよなと思って、その影響を知りたくて色彩学について学んだり、色彩検定も取得しました。それくらい、「色」は昔から大切な存在でしたね。
――社会人になってからもお部屋づくりにはこだわりが?
社会人になってからは仕事で全国を飛び回ることも多く、あまり家にはいなかったですね。3連休があれば海外にも行くし、山も海も好きでした。そんな中でも好きな雑貨や絵を飾ったり模様替えはしょっちゅうするくらい、「空間づくり」はずっと側にありました。かっこいい・シンプルなSNS映えするような空間に憧れはありましたが、私の部屋はいろんなものが共存していて。でもそれがむしろ自分にとって居心地の良い空間でした。
「私らしさ」が途切れた空白の時間
――そんなにアクティブに動き回ってたからこそ、病気になってからの動けなくなった暮らしはかなり大きな変化だったのではないでしょうか?
萌
そうですね。急な痙攣発作がきっかけで、その後2年くらいは、ほぼ寝たきりの生活でした。原因がなかなか分からず、病名もつかない期間が長くて。病名がつかないと制度にも入れないし、治療も進まない。医療費もかさんで、不安は大きかったですね。
――それは辛い状況でしたね…リーダー空間づくりが日常だった萌さんにとって、病室という空間はどのように感じていましたか?
萌
長い間同じ景色の病室にずっといるうちに自分の感覚が少しずつ削がれていった感覚でした。
色もないし、絵もないし、匂いもない。「自分が何が好きだったか」とか、「どんな人だったか」を思い出すきっかけが、どこにもない。その結果、もともとは欲まみれの人間だったんですけど、欲がなくなりましたね。欲しいものもないし、食べたいものもない。
病名がつくまで宙ぶらりんのような状態だったこともあり、自分を定義づけるものが何もない状態が長く続いてしまっていて。魂がフワーッとどこかへ飛んでいってしまったような、そんな気持ちでした。
「今の自分で生きていく」空間が背中を押してくれた
――その後、退院してご実家に戻られてからはいかがでしたか?
萌
実家には、私が好きだった絵や照明、ドライフラワーなど、一人暮らしのときに集めていた雑貨や家具が、きれいに配置されていました。
長い入院生活で、自分のことが分からなくなっていましたが、自分が選んできたものたちに囲まれた瞬間、「あ、私ってこうだった」って全て思い出した感覚でした。
――萌さんにとっての長い空白期間が、好きなもので思い起こされたんですね。
萌
そうなんです、空間の力はすごいです。それと、実家に帰って久しぶりに、自分の手で顔を洗えたことが、すごく嬉しかったですね。洗面台に車椅子の足がちゃんと入るように作り替えられていて。
入院中は、病院を出たあとの生活がまったく想像できなかったんです。これまでアクティブだった分、十分に動かせない身体での生活がどういうものか分からなくて。
でも、実家に帰ったら、今の私の身体でも生活できるように、父が環境を整えてくれていた。「自分でできることが、こんなにあるんだ」そう思えたことで、ようやく今の自分を受け入れられました。
他にもお風呂とトイレがすごく広くなっていて、実はその間取りも、図面は父が考えたらしいんですよね。このインタビューをきっかけに、「当時、どんな気持ちで空間をつくっていたの?」って父に聞いてみたんです。
そしたら、「もしこのまま寝たきりで帰ってきたとしても、せめてお風呂には入れるようにしたかった」って言われて。単に身体をきれいにする、というよりも、人として当たり前の生活ができるようにしたかったんだと思います。
父なりに「人としての尊厳」を大事にしてくれようとして、それを空間でできるならと考えてくれていたんだと思います。その話を聞いたときは、正直、泣きそうになりましたね。
玄関の廊下から全ての部屋に自力で行けるようになった、段差皆無の床と手すり。
入院から帰ってきて一番最初に衝撃をうけたそうです。
――すごく、萌さんのことを想っていたんですね。
萌
そうなんです。ただ、私のため「だけ」という感じでもないと思っていて。父自身も、こだわりが強い人なので、できないことを補うための空間、というより、自分の好みや美意識も、しっかり入れてましたね。
例えば、バリアフリーにするために床を張り替えたんですけど、普通だったらコストを考えて、全部同じ床材にすると思うんです。でも、部屋ごとに木の色が違うんですよ。壁や天井の色に合わせて、床も変えていて。ちゃんと自分の意思、こだわりを入れているなって思いました。
――お話を聞いていると、バリアフリーという言葉だけでは語れない工夫が、たくさん詰まっている気がします。それぞれの好きやこだわりを重ねながら、これからの生活を迎え入れるための空間になっていたんですね。今のお部屋のこだわりも教えていただきたいです!
萌
今の部屋は、「自分の好き」がたくさん詰まっています。まず、壁紙は水色。これは入院中にデザイナーさんと話し合って決めた私の大好きな色です。病室にいる時間が長かったので、青い空が恋しくて、退院したら、どんな空間で過ごしたいかを話しました。
絵や照明、ドライフラワーもたくさん飾っています。ちなみに、ドライフラワーはお見舞いでいただいたお花を使っているんです。
また、部屋の中には、車椅子からちゃんと手が届く高さの小さな仏壇があります。元々は2階にあったんですけど上に上がれなくなったので、1階でも手を合わせられるように工夫しました。
――仏壇も、ご自身に合わせて変えられたんですね。
萌
そうなんです、私なりのこだわりがおりんの代わりに、エッグスタンドを使っていること。
音も優しいし、形も可愛くて。おりんに合わせた真鍮の線香立てと一輪挿しもお気に入りです。
こういうのも、「決まり」に合わせるんじゃなくて、自分が心地いい形を選べばいいんだな、って思って今は暮らしを楽しんでいます。「前と同じようにやる」じゃなくて、「今の自分でできるやり方を選ぶ」ことを大事にしています。
――素敵です!退院後はアクセサリー作家としても活動されるようになったんですよね?
萌
そうなんです。きっかけは、他の障がいのある方に「握力がなくても、できることはあるよ」って教えてもらったことでした。
かつての私もそうだったんですが、障がいを持つと「おしゃれはしなくていい」って諦めてしまっている方も多いと思います。洋服は諦めることも多いけど、アクセサリーなら使えることに気づいて、障がいがあってもなくても好きなおしゃれを皆が楽しめるといいなと思って作りはじめました。
また、最近では患者会の運営にも参加しています。私自身、入院していた当時は、自分だけが取り残されている感じがしてすごく孤独だったんです。
かつての私と同じような方々がこの世の中に実はたくさんいることを知り、オープンチャットやZoomで相談できるオープンな場を皆で一緒に作っています。
――会えなくても同じような境遇の方がいる、というだけで安心しますよね。萌さんは多方面で活動されてるんですね。
萌
そうですね。好きな空間にいて、好きなものをつくっていると、「こういうこともできるかも」って、自然に思いつく気がしてます。
今では、ベッドの上から会社で働いたり、アクセサリーを作ったり、様々な境遇下で自分らしく生きることを模索している方達とお話ししたり、振り返るといろんなことをやっていますね。それが一つずつ形になっていって、気づいたら、応援してくれる人も増えていきました。
萌さんの仕事スペース。
ひじで体をささえながら作業できるよう工夫されているそうです。
病気をすると、「もう前と同じじゃない」って思いがちなんですけど、好きなものが変わっていないことに気づくと、「全部が変わったわけじゃない」と気づけるんです。だから、できないことが増えても、好きなものまで手放す必要はないし、好きなことを諦めないでほしいな、って伝えたいですね。
――萌さんにとって好きなものにあふれる空間は「自分らしさ」に立ち返れる場所なんですね。
編集後記
萌さんの話を聞きながら、自分が選んできたお気に入りのもの、そして誰かが想いを込めて整えてくれた空間には、見えないけれど「あなたは、あなたのままでいい」と、支えてくれる力があるのだと感じました。
入院中、萌さんを想いながらお父さんが考え抜いた空間には、動作のしやすさといった機能性だけでなく、二人それぞれの「好き」や「こだわり」が丁寧に重ねられていました。
だからこそ、その場所が萌さんにとって、前向きに生きるための確かな足場になったのだと思います。
いま、萌さんは好きな空間で、ものづくりをし、人とつながりながら、そのときどきの自分にとって心地いい形を選び続けています。その積み重ねこそが、「私らしい暮らし」なのかもしれません。