暮らすがえジャーナル

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【イベントレポート】余白から生まれる「私らしい暮らし」 - 土門蘭 × 平安伸銅工業 竹内香予子 対談

こんにちは、暮らすがえジャーナルです。

今回は、今年10月に行われた全社イベントのプログラムから、文筆家の土門蘭さんと平安伸銅工業 代表取締役の竹内香予子(以降:かよさん)との対談内容をお届けします。

余白はそのままにしておくと、すぐに自分じゃないもので埋まってしまう。
だからこそ、自分の好きを見つめ続け、問い続けることが大切です。

今回ご登壇いただいた土門さんとかよさんは、まさに私らしいって何だろう?を見つめ続けてきたお二人。
お二人の視点から、「私らしい暮らし」をどうつくっていけるのか、平安伸銅工業 執行役員の羽渕(以降:ハブチン)が深ぼっていきました。

土門 蘭さん

文筆家。広島生まれ、京都在住。小説・短歌などの文芸作品や、インタビュー記事の執筆を行う。最新刊は2年間の自身のカウンセリングの記録を綴ったエッセイ『死ぬまで生きる日記』。同作品で第一回「生きる本大賞」受賞。

「役割」に埋もれがちな私らしさ

――ハブチン:今、平安伸銅は大きな変化の真っ最中です。これまで「突っ張り棒をホームセンターで売る会社」という印象が強かったと思います。でも今期からは「私らしい暮らしを支える」というビジョンを軸に、「暮らすがえ」を体現しながら進んでいこうとしています。まずはお2人がどのように私らしさと向き合ってきたのか聞いてみたいです。

竹内香予子(以降:かよ):
私自身、「私らしい暮らしを届ける」という会社のビジョンを掲げていたので、それを体現しようと、自分の家をショールームのようにして発信していた時期があったんです。
メディアにもたくさん取り上げてもらって注目度は上がったけど、いつの間にか「自分の家=自分の存在価値」みたいになってしまって。子どもが生まれて、その家を手放すことになったとき、家を失う=自分の象徴を失うような感覚があって、「私らしさ」が分からなくなってしまいました。

土門蘭(以降:土門):
何か役割を得ると、その価値を損なわないようにしなきゃって思っちゃいますよね。こうあるべきという輪郭に合わせようとして、自分を無理に押し込めるような。
無意識のうちに仮面をかぶっちゃうんですよね。
私も書く仕事をしているので、書きたいことと求められることの間で、ずっと揺れ続けてきました。

――ハブチン:かよさんも、社長としての自分と母親としての自分、そのバランスを取るのは大変だったのでは?

かよ:
そうですね。バランスを取るのにかなり時間がかかりました。そんなときに出会ったのが、土門さんの『死ぬまで生きる日記』。自分を内省する上での、すごく強力な補助線になりました。

私らしさを見つけるヒント〜自意識と自我〜

――ハブチン:土門さんの本を読んでいて感じたのは、内側の微細な違いを丁寧に言葉にしていること。最初は「死にたい」というざっくりした感情だったのが、時間をかけて少しずつ変化していく。その過程が描かれていて、読んでいて自分の内側も整理されていくような感覚がありました。でも「死にたい」ってふつう隠したい感情だと思うんです。あそこまで赤裸々に書くのは勇気がいると思うんですが、どうしてオープンにできたんでしょう?

土門:
私、いい文章っていいにおいがする文章だと思ってるんです。コーヒーならコーヒーの、パンならパンのにおいがするように、その人自身の素材のにおいがする文章が好きで。
逆に、あまり印象に残らない文章って化粧臭いんですよね。「こう見られたい」「認められたい」という気持ちが混ざると、本当のことが書かれていないように感じてしまう。

――ハブチン:なるほど。

土門:
私自身の中で、「こう見られたい」という他者の目線は「自意識」、それを全部脱いだあとに残る素肌の自分は「自我」と切り分けていて。私はなるべく、自意識を取り剥がして、自我の部分で文章を書きたい。そんな思いで『死ぬまで生きる日記』を書いていましたね。

かよ:
私自身を振り返ると、2020年、子育てに入るまでは、家業を継いでなんとしてでも業績を好転させなきゃと思っていて、そのためなら、社会が求める役割を演じようと決めていました。でも、当時の私は自意識で構築されていたなって気づいて。『死ぬまで生きる日記』を片手にさらに突き詰めると、その根っこには“親に認められたい”という気持ちがあることにも気づきました。自分が会社を継いで会社を盛り立てることに決めたのも、親に認めてもらいたかったからだなと思います。

かつての私はたくさんメディアに取り上げていただき、周りから褒めていただけることも多かったです。でも、自意識からくる動きって周りからどれだけ賞賛されても満たされないんですよね。自分で自分を認める、自我に気づいてあげることで初めて心は解放される気がしています。

――ハブチン:でも、社会の中で生きていると、どうしても自意識の方が顔を出してしまいますよね。やっぱり周りからの目線って気になっちゃう。どうやって自我を見つけたり、育てたりすればいいのでしょうか。

土門:
私の場合は日記を書くことで自我を育てていた気がします。
子どもの頃からなんか周囲に適応できないな、馴染めないなって苦しくて。子どもなりの自衛だったと思うんですけど、自分のことを「火星人」だと設定していました。地球人に擬態して、地球の様子を火星にレポートしているスパイという設定で「地球の人はこういうふうに振る舞っている」「今日はこう感じた」みたいなことを毎日書いていました。
その日記は誰かに認められるためじゃなく、ただ本当のことだけを書くためのもの。誰にも見せない文章だからこそ、醜い感情や汚い感情も全部出せたんですよね。

学校では人気者になりたいとか、みんなと楽しくしたいとか自意識がたくさん出てくる。でも、日記を書いてる間だけは自分の全てを受け止めている、そんな感覚でした。それを毎晩のように続けることで、自我を保てていた気がします。

――ハブチン:地球が社会なら、火星は本音を出せる場所なんですね。

土門:
そうですね。私にとって地球は「社会」、火星は「孤独な私だけがいる場所」。その二つを行ったり来たりすることが、まさに「書く」ことなんです。
私にはふだん、二つの「書く」があって、一つは、自分のことを書く。もう一つは、他者のことを書く。物書きとしての仕事の中で、この二つが半々の状態が一番いいバランスなんですよね。
自分を深く掘り下げて、自己対話を続けるのは火星でのこと。そこに地球人の目、つまり他者の視線が入ってしまうと、どうしても「もっと認められるように書かなきゃ」って少し嘘をついてしまう。だから、まずは火星で孤独をつくり、自分の本音をきちんと書く。そして地球に戻ってきて、「みんなはどう思っているんだろう」と一人ひとりと対話をしていく。
それを繰り返しているうちに気づいてきたのが、以前はみんな地球人だと思っていたけど、実際は、誰もがどこかの星の住人でそれぞれ全然違う存在なのかなって。
自分とも、他者とも、行き来しながらつながっていく。その中で書き続けることが、私にとって一番いい文章が出てくる状態なんだと気がつきました。

かよ:
火星の話は本で読んですごくインスパイアされたんです。私自身、実家も解体しちゃってもうないし、地元のコミュニティにも属していなくてずっと、帰る場所がないっていう寂しさを抱えていたんです。
でも土門さんの本を読んで、自我を出せる=素の自分である場所をつくってあげたらいいんだなって思えて。その場所は他者がどうかが関係ない場所で、その安心感が芽生えてから、家族や仕事にも素直に向き合えるようになったんです。「分かってくれるだろう」「私を受け止めてくれるだろう」って期待しすぎなくなって他者との関係性も楽になりました。

整理とともに自意識を手放していく

土門:
平安伸銅さんがやろうとしていらっしゃる「私らしい暮らしをつくる」っていうのは、まさに自分で自分の帰れる空間、場所をつくるってことですよね。
実は、私の書斎ってめちゃくちゃ散らかってるんです。それをなんとかしなきゃいけないかなと思いつつ、でも自分には全部必要なもので、すごく満足してるしなと葛藤していたんです。でもハブチンさんにめっちゃいいねと言ってもらえてほっとして楽になったんですよ。

かよ:
まさにそうで、私たちはこういう暮らしが正解だよって示すんじゃなくて、それぞれが私らしく暮らすための土台をつくるということを大事にしています。
その土台がしっかりしているからこそ自分らしさをのせることができる。そうして空間の価値が変わり、「住まい」が満たされる場所に変わっていく。それを支えるのが、私たちの役割だと思っています。
住まいが安心できる場所に変わっていくと、日々の行動や気持ちも少しずつ変わっていって、その積み重ねが、人生をゆっくりと豊かにしていくと思うんです。
そんな漢方薬のようなじわーっと沁みていくような存在でありたいと思ってるんです。

――ハブチン:たしかに、インスタ映えするスッキリした空間を目指したくなるけど、それって結局見せるための空間なんですよね。そういう空間って、自意識にどんどん囲まれていって苦しくなっちゃうんじゃないかなって思います。 でも、自意識で身につけたものを整理していくのってなかなか難しいんじゃないかなと思ったり。

土門:
私が好きな『少女ファイト』というバレーボール漫画に、散らかった部室を整理整頓するっていうエピソードがあるんです。そのとき監督が言っていた言葉が、すごく印象的で。
「整理整頓は何故整頓整理の順でないかわかるか。整理とは無駄なもの不要なものを処分すること。整頓とは並べ整えることだ」っていうんですね。つまり、何が必要で何が不要か、常に自分と対話をすることなんだと。
この過去は手放そう、この思い出は持っていこう。そうやって自分と向き合って、未来に向けた動線を整える。それが本当の整理整頓なんだと、その監督の言葉から気付かされたんですよね。

かよ:
本当にその通りだと思います。住まいづくりって、映えるためのものじゃなくて、自分との対話を通して必要なものを必要な場所に置くこと。
それができると、他人からどう見えるかは二の次になって、自分にとって心地いい空間が生まれていく。そこにいるだけで、自分を許せたり、「このままでいい」と思える瞬間が増えていくんですよね。

私も元々はものがすごく多かったんですが、何かしらの自意識をベースに積み重なってきたもの、執着やこだわりの象徴みたいなものを、ひとつずつ見つめながら、ものと一緒に手放していく。
そういうことを繰り返すことで、少しずつ自分らしい暮らしに近づいていける気がします。

余白があるから描ける

――ハブチン:整理整頓を通して自分と対話していると、その人らしさが空間にもにじみ出てきますよね。ちゃんと向き合って選び取ったものに囲まれていると、その人らしさが自然と見えてくる。

かよ:
住まいづくりの理想って、本当に十人十色だと思うんです。「私らしい暮らし」って人によってまったく違う。だからこそ、まずは自分の好きの輪郭を見つめ直すことが大事かなと。そして、そんな空間づくりに、平安伸銅のプロダクトが少しでも寄り添えたら嬉しいなと思っています。別に個性的な商品をつくりたいわけではなくて、むしろ自分の好きをのせられるような余白やスペースを提供したいですよね。

――ハブチン:整理をして、自分の時間や余白をつくる。好きなものにもう一度触れてみる。それが本をつくることかもしれないし、文章を書くこと、写真を撮ることや、好きなものを集めることかもしれない。頭や心の中にある好きを表現していく。今回の対話を通して、そんな営みこそ、「暮らすがえ」なんじゃないかなと思いました。

土門:
平安伸銅さんのプロダクトって、本当に余白がありますよね。補助線を描いて、「あなたならここに何を置きますか?」と問いかけてくれる。使う人に想像の余地を与えてくれるから、その人自身の感性が自然と浮かび上がる。
問いかけるデザインって、とてもいいなと思います。

かよ:
ありがとうございます。私たちは、それぞれの暮らしに必要な形に寄り添いたいと思っていて。たとえば「LABRICO(ラブリコ)」のように、もっと自分の色を足したい人にはDIYで自由にアレンジできる余白も用意しています。
今後も余白をベースにしながら、住まいの中で自由に変形できる仕組みをもっと増やしていって暮らしの可能性を広げていけたらと思っています。

土門:
私が文章を書く理由も、実はそれに近くて。誰かに影響を与えたいというより、「もっと自由でいいんだ」「下手でもやってみていいんだ」そう思ってもらえたら嬉しいんです。
「自分だったら、どんな言葉を書くかな?」そんなふうに考えるきっかけになれたらと思っていて、その精神は、平安伸銅さんのものづくりとすごく共通している気がします。

――ハブチン:いいプロダクトって、手に取った人の中で熱を循環させるものだと思うんです。それに触れた人の心や体をあたためて、「自分も何かつくってみようかな」と思えるような。
そんなふうに、人のつくりたいことや、やってみたいことを引き出して、私らしさが自然と広がっていく。そんなプロダクトをこれからもつくっていきたいと思います。