暮らすがえジャーナル

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都市部の孤立に企業はどう関わる? これからの「縁のつくり手」としての新しい役割とは

人口の多い都市に住んでいるのに、なぜか「つながれない」と感じる人が増えてきています。家族とも地元とも離れて暮らし、地域の人と挨拶することも少ない。職場の関係も希薄になり、気づけば「頼れる人がいない」状態に。
そんな都市の孤立の正体とは何か?そして、今の社会に必要な新しい縁(つながり)とはどんなものなのか?

今回は、コミュニティナースという仕組みで全国の地域づくりに関わる、株式会社CNCの山元圭太さんと、血縁・地縁・職縁・私縁という歴史的な共助の進化をたどりながら、 「これからの縁のあり方」について語り合いました。

山元圭太さん(以降、山元)

株式会社CNC プロジェクトマネージャー /合同会社喜代七 代表/NPO法人日本ファンドレイジング協会 理事/雲南市 地方創生アドバイザー/草津市 地域再生推進員

滋賀県草津市出身。 地元の商業高校で近江商人を学び、大学で国際協力のNPO/NGO活動に参加。 同志社大学商学部卒業後、経営コンサルティングファームで経営コンサルタントとして5年、NPO法人かものはしプロジェクトでファンドレイジング担当ディレクターとし5年半のキャリアを経て、非営利組織コンサルタントとして独立。 2022年より、ナスくる更別マネージャーとしてCommunity Nurse Companyに参画し、現CNCでは全国各地で展開するコミュニティナーシングの実装マネジメントを担っている。

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株式会社CNC

「人が多いのにつながれない」背景には「共助」の歴史的な発達があった

――都市って、人も企業もコミュニティもたくさんあって、本来なら縁が生まれやすそうなのに、実際には隣人の顔も知らないなど、むしろ縁をつくりづらい場所になっていますよね。どうしてそんな構造が生まれるのでしょうか?

山元
「人が多い=縁が多い」にはならないんです。その前提として、そもそも人を支えるセーフティーネットは 自助・共助・公助 の三層でできている、ということからお話させてください。

――お願いします!

山元
まずは 自助。自分でお金を稼いで、自分でサービスを買って、自分のケアを自分でする。
基本的には、みんなこの自助で暮らしています。
でも、どれだけ元気な人でも、どこかで必ず自助だけではどうにもならない瞬間が来ちゃうんですね。病気になる、メンタルが落ちる、怪我をする、親が要介護になる…。
人はいつか、自助だけでは立ち行かなくなる。そのときに必要なのが共助で、これは人類の歴史の中で発展してきた、いわゆる助け合いの仕組みなんです。
最後に、公助は国や自治体といった行政による公共サービスですね。

――分けて考えるとすごくクリアになりますね。

山元
そうなんです。中でも、共助がどう発達してきたかを見ると、なぜ今、都市で縁をつくりづらいのかが自然と見えてきます。

――なるほど!

山元
まず、共助の中でも一番原始的なものが 血縁。困ったら家族内で助け合う、親が子を育て親が年老いたら子がケアをするように、血縁はとても濃くて分厚い縁ですね。そのぶん範囲はとても狭いです。

――確かに、濃いけど広がらないですね。

山元
そう。でもその後、狩猟から農耕へ移って定住するようになると状況が変わります。田んぼを耕したり、水路を作ったり、収穫したり、家族だけではどうにもならない作業が増えた。そこで生まれたのが 地縁です。
「そこに住んでいる人同士で助け合ったほうが効率がいいよね」という発想ですね。
地縁は、生き残るための 生存戦略としての共助だったわけです。
ただ、この構造は産業革命で崩れます。住む場所と働く場所が分かれ、工場や会社に行くようになると、暮らしと仕事が切り離されていく。
物理的に「住んでいる場所」にいる時間が短くなるので、何か困ったときの共助の仕組みとして、地縁だけではリーチしなくなっていったんですね。
そうすると、働く仲間と過ごす時間が増え、地縁より職縁が強くなっていくんですね。

――時代の流れに沿って、血縁→地縁→職縁と変化していったんですね。

山元
さらに社会が進むと物質的に豊かになり、生活の時間にも少しずつ余裕が生まれてきます。そこで、共通の趣味や関心ごとを軸にしたコミュニティができてくるんですね。
NPOやサークル、ママ友コミュニティ、スポーツ少年団などです。
たとえばママ友コミュニティでは「子育て」というテーマでみんなが集まっていて、ママ同士で「お互いの子どもを見合う」「一緒に出かける」といった相互扶助が生まれますよね。こうした、「共通の思い」を軸にしたつながりを、私たちは私縁と呼んでいます。
特徴的なのは、血縁→地縁→職縁→私縁と発達していくにつれて、縁はだんだん薄くなるけれど、広がっていくという傾向があることです。

人口減で訪れた、自助・公助の限界

山元
ここまでが、いわゆる既存の共助の構造です。もう一つのレイヤーが 公助。ただ、これは昔から強かったわけではなく、近代国家になって整えられた比較的新しい安全網なんです。

――公助の歴史は浅いんですね、知らなかった!

山元
そうなんです。公助が手厚くなった背景には、人口増と経済成長を前提にした社会構造がありました。
人口が増える → 税収が増える → 公助が厚くなる。
この前提があったから、社会全体が「みんな経済活動を頑張ってください。足りないところは公助でちゃんと支えます」という方向で動いていったんですね。
この流れの中で、「自分で稼ぐ」という自助が主体となりました。一方で、共助はどうしても手間がかかるし、今で言うタイパが悪い。短期的なリターンも見えづらい。
その結果、共助は次第に細り、自助と公助に依存した社会構造 がつくられていったんです。

――当時はそれで誰も困らなかったと思うのですが、人口が減り始め、経済も右肩上がりではなくなった今、その仕組みは限界にきているように感じます。

山元
まさにそうです。まず限界が来るのは 公助 なんですね。お金も人も足りなくなり、これまでのように十分な支援を行うことが難しくなる。
同時に、自助の側でも二極化が進みます。経済が厳しくなると、資本を持つ人はますます豊かに、そうでない人はさらに苦しくなる。その結果、自助の世界ではセーフティーネットの網目からこぼれ落ちる人が出てきてしまうんですね。
さらに深刻なのは、かつて自分たちで細らせてしまった 共助が弱いまま ということです。
例えば都市には、血縁にも地縁にもつながっていない一人暮らしの方が非常に多いですよね。ただでさえ孤立しやすい構造の上に、自助も公助も弱まっているわけです。
頼れる先がない人たちが困難に直面した際、救いを求めて公助の窓口に一気に押し寄せるのですが、もともと人手も予算も不足しているため、窓口はすぐに飽和し、対応しきれない状態に陥ってしまう。
「誰一人取り残さない社会」を掲げながら、現実にはたくさんの人がこぼれ落ちる社会──つまり 孤独・孤立 の状態が広がってしまったんです。

――都市で「人が多いのにつながれない」という現象は自助・共助・公助のバランスが変化した結果として起きているんですね。

自助も公助も機能しきれない時代に、どう縁をつくるか

――自助も公助も機能しないとなると残りは共助だけ…

山元
そうなんです。でも、今ある共助の多くは、冒頭でお話ししたような 「共通の思い」 を軸にした私縁が主流なんですね。ただ、私縁って基本的に「入りたい」と意思表明や申込書を書くといった手続きを経て参加する仕組みなんです。
この「申込」というハードルがある限り、そこに入らない人・入れない人が一定数出てしまう。人付き合いに不安があったり、場の情報にそもそもアクセスできなかったり。そうした人たちが、共助というセーフティーネットの網からこぼれてしまうわけです。
そこでCNCの実践を通じて僕自身が仮説として置いているのが、もう一段上のレイヤー、「より薄く、より広く」 つながるための新しい共助──僕は「楽縁」と表現しています。
「楽縁」という言葉には、楽につながれる、楽しさや嬉しさをフックにゆるくつながれる
という意味を込めています。
これは既存の共助インフラを否定するものではなく、あくまで補完する構造です。
血縁・地縁・職縁・私縁のどれかに引っかかればそれでいい。でも、どこにも引っかからなかった人たちにとっての最後の受け皿が楽縁なんです。
そして、この「楽縁」を地域に暮らす人たち自身が、地域のために、地域の資源を使ってつくっていく。そのプロセスを伴走し、コーディネートし、一緒に縁を編んでいく役割をコミュニティナース と呼び、その技術や方法論をコミュニティナーシングと呼んでいます。

企業が「縁の起点」になる

――なるほど!確かに、たまたまつなぎ役になれる人がいればいいけれど、そういう人がいないと、コミュニティに繋がれても輪に入れなかったり、そもそも参加しなかったりする。コミュニティナースは、まさにそこをつないでいく、人が中心になって戦略的に縁をつくっていく役割なんですね。

山元
まさにそうです。ただ、外から来たコミュニティナースが1人で地域に溶け込むのは簡単ではないんですよね。そこで鍵になるのが、その地域にいる 「信頼資本富有者」 です。
普段から地域の人たちとの信頼関係を積み重ねていて、「あの人が言うなら大丈夫」と思われているキーマンのことですね。田舎だと町内会の中心人物だったり、世話焼きのおばちゃんだったりすることが多い。
一方で都市部は、自治会加入率も下がっていて、「そもそも町内会長が誰かわからない」という人も多いですよね。

――私も知らないです…

そこで都市で重要になってくるのが 商縁 です。駅・スーパー・コンビニなど、日常的に人が行き来する場所には、すでにその店や企業への信頼の土台があるんですね。
例えば、よく通う駅やお店の駅員さんや店員さんが、コミュニティナーシングの眼差しと技術を持っていて、
「おはようございます、今日はなんだかお元気そうですね」
「最近ちょっとお疲れ気味ですね、大丈夫ですか?」
そんな一声をかけてくれるだけで、そこに縁が生まれる。都市部ではこの 商縁 を起点に、楽縁が広がっていく可能性がとても大きいんです。

――なるほど!そう考えると、企業も信頼資本を持った存在ですね。

山元
そうですね。特にBtoCのビジネスをしている企業はわかりやすいです。
生活インフラ系の企業が、自社のサービスにコミュニティナーシングの要素を乗せるだけで、ビジネスモデルそのものが融合して進化することが起きています。
ヤクルトさんの例でいえば、ヤクルトレディがコミュニティナース的な役割を担うことで、地域住民の小さな声を拾うことができる。声を拾って縁を繋いでいたら、地域の住民が「ヤクルトさん、すごくいいことしているね」と応援してくれるようになる。そこから口コミやおすすめが生まれ、結果として売上も伸びる。
つまり ビジネスと共助が対立するのではなく、共に育つ関係になっていくわけです。

――BtoB企業でも、縁の起点になれる可能性はあるんでしょうか?

山元
もちろん BtoB企業でも可能性は大きい ですよ。社員やそのご家族は地域で暮らしていますし。たとえば、その企業が持っている敷地や建物の一部に余白があるなら、そこを地域に開放して「地域のための場」として使ってもらうことができるんじゃないでしょうか。
「地域に開く」という行為そのものが地域を元気にしますし、企業がすでに地域から信頼されているのであれば、「〇〇っていう会社がやっているらしいよ」というだけで、住民が安心して足を運びやすくなるんですね。結果として、その場所で縁が自然に生まれていく。
BtoB企業も、企業の持つ信頼資本と空間資源を使って「縁の起点」になる可能性はすごく大きいです。

まとめ

血縁・地縁・職縁・私縁。これまで人を支えてきた共助のレイヤーは、都市化や生活スタイルの変化の中で少しずつ細くなってきました。
特に都市部では、自助も公助も限界が見えはじめ、セーフティーネットの網目からこぼれ落ちてしまう人が増えているのが現状です。
その鍵になるのが、申込書も、気合いの参加表明もいらないつながり。「ちょっと寄れる」、 「なんか楽しそう」。そんな楽さや楽しさを入り口にした軽やかなつながり──山元さんの表現でいうところの楽縁です。
今回の山元さんのお話を通して、企業だからこそ果たせる役割があると強く感じました。

先日、平安伸銅が岐阜の物流センターで行ったアウトレット品の販売イベントは、その小さな実験のひとつです。地域にひらき、人がふらりと立ち寄れる場所をつくることで、自然と縁が生まれて、共助のきっかけになれるかもしれません。

平安伸銅として、この楽縁をどう育てていくのか。CNCの考え方に学びながら、我々も会社という場所を起点に、地域とどんな縁を共につくれるのか。その可能性を探りながら、一つひとつ試し、形にしていきたいと思います。

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